Intrige Schwert 10話

あの頃の私は、数年前に母を亡くし空虚な日々を過ごしていた。
やりたい事も、やるべき事も無い・・・
ただひたすら――街から少し離れた小高い丘から、風景画を描き続けていた。

私がリリィと出会ったのは、そんな何も変わらないとある日のことだった――

 * * *

 「ふぅー・・・」
ぽてっ、という効果音がつきそうな倒れ方で、自分の真後ろにあった岩に寄りかかる。
 ひと段落ついたし、ひとやすみ・・・
丁度お昼を過ぎた頃だろうか、太陽が真上より少し沈んできている
今日は朝から街を見下ろす丘の上で、新しいキャンパスにデッサンをしていた。
一応簡単な食事も持ってきてはいたが、あまりお腹が減らないのでまだ手をつけていない
 「――んっ・・・?」
不意に背後から人の気配がした
私は昔からカンが良いというか、気配を感じ取る力が強かった。
岩の後ろにまわる――
確かに、そこには小さな人影がひとつ

 「こんなところで何し・・・」
 「人間!? 来るなぁっ!」
突然、弓らしきものを私に向かって突きつけてきた
流石にいきなりだったので、驚いて尻餅をついてしまった。
険しい目つきで、いまだ弓を構えたままの女の子――エルフだ。横に伸びた耳がそれを物語っている
 中には人間に対して友好的じゃない人もいると聞いたけど・・・ちょっと、やりすぎじゃ・・・
ここまで敵対心むき出しになるということは、何か裏があるのだろうか
 「人間が、私に何の用・・・?」
 「い、いや、何してるのかなぁって・・・」
ちょっと笑いかけてみたが、相手は無反応だ。
厄介な事になったと、内心呆れてしまったが――
 「キミ、足首・・・!」
その女の子の右足首が、真っ赤に染まっていたのを見て、そんな気持ちは吹き飛んでしまった
急いで足首を押さえる
 「な、何してんだっ! やめ・・・っ!」
 「動いちゃダメ、そこに座って。結構深い・・・よく歩けたね」
自分の着ていた上着を脱ぎ、更に破いて細長くしていき
それを怪我している足首に手際よく巻きつけていく
 「あくまで応急処置ね。帰ったらちゃんと綺麗な包帯で巻かなきゃダメだよ?」
作業を終えて女の子の方を見ると、唖然とした表情でこちらを見ていた
それはそうだろう、ついさっきまで武器を向けていた相手が自分の傷を処置してしまったのだから。
視線が合うと、そっぽを向かれてしまった。仕方なくその場に座る

 「・・・どうして、人間のこと嫌いなの?」
暫く間があった後、そう問う
 「・・・」
答えたくないのだろうか、暫く待っても返事が無い
ひょっとして悪いことでも聞いたのかと思い
 「べ、別に言いたく無かったら無理にとは言わないけど・・・」
 「この足も」
さっき私が処置した、血の滲む足首を見やる
 「さっき、人間にやられた。それだけじゃない・・・」
すると、彼女はおもむろに服を脱ぎだし、上半身をはだけた
その身体には、彼女の忌まわしき過去を容易に想像できてしまうそれが、いたるところに刻み込まれていた。
私でも、思わず目を逸らしてしまいたくなるような光景だった
 「全部、人間に・・・」
刻まれているのは、大小様々な傷の跡
いくつあるのか数えられないほど、ものすごい数だ。
 「ひどい・・・誰がこんな事・・・」
 「女だから、顔には傷をつけられなかった。でも、その代わり・・・屈辱を味わわされた・・・」
彼女の膝の上にのせられた拳に、力が入る
 「まるで玩具の様に扱われた後、イジメられて捨てられるの繰り返し。
  そんな人間を、嫌いにならない方がどうかしてる」
何も言い返せなかった。
人間たちが犯した、欲望のままにしてしまったその行為によって
生きながらにして地獄を見せられた――
身体にも、心にも、深い傷を負わされたのだ
この子は一生、人間を好きになれないかもしれない――そうも思ってしまった。
 「でも、アナタは人間なのに、人間なのに、とっても優しい・・・。
  傷を手当てしてくれたのも、傷跡を見て逃げ出さなかった人も、アナタが初めて。
  人間って全部、怖くて、卑劣で、嫌なものだと思っていたのに・・・アナタは、何かが違う・・・」
ひどい言われ様だが、それだけ彼女が人間に良い思い出を持っていないということは、手に取るように感じられた。
私に、何かできる事は無いだろうか・・・
 「・・・家は何処? 送ってあげる」
私にできること、それは――
 「無い、帰るところなんて・・・」
 「それなら、ウチにおいで。一人暮らしだから、遠慮しなくていいよ」
笑顔で迎え入れてあげること
 「で、でも・・・」
 「人間は、良い人ばかりじゃないけど、悪い人ばかりなんて事も無いの・・・。
  さぁ、おぶってあげるから。その足じゃ歩けないでしょ」
人間の『優しさ』に、少しでも触れさせてあげること。
画材道具を片付け、彼女を背負い、歩き出した――



 そういえば、聞いてなかったけど・・・

 なに・・・?

 名前、なんていうの?

 なまえ・・・

 そう。キミの名前、教えて

 私の、名前は・・・



 「リリィ・・・かぁ」
タマネギを切りながら、独り言をもらす
チラッと、ソファの上に視線を移す――金髪の妖精は、いまだ目覚める気配が無い
視線をまな板の上に移し、作業に戻る
 リリィの通ってきた苦難の道に比べたら、私の苦労なんて微々たるもの
 身体の傷も、心の傷も、一生あの子から離れる事は無いんだから、それに比べたら・・・
目から熱いものが、私の頬を伝う――
いつからこんな、涙もろくなったのだろうか・・・
 「あ〜っ、そんな切り方だから目にしみるんだよ。ちょっと貸してっ」
いつのまに、妖精が目を覚ましていたようだ。
そういって包丁をひったくると、こうすればいいんだよ、と言いながら手際よくタマネギを切り始めた
 タマネギのせい、か・・・
今は、そういうことにしておこう。


10話完

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